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従順な奴隷(水玉文庫)

15/01/18
水玉文庫
○従順な奴隷

『東京新聞』で防衛予算が増加と知り、
何それと思うと、
今度はFacebookとツイッターで
辺野古が非常に大変と知る。

目取真俊さんのブログを読む。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777

海上作業開始に対するカヌーによる抗議活動の報告。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/32e4df1c7bc7b2e7d3a60e3315c7d5a
6
海上保安庁ひどすぎる。


海上保安庁職員の思考停止状態。
これ、すごくわかる。
私の場合、組織、上下関係が嫌いだが、
一端組織や上下関係に入ってしまうと、
その枠に自分を入れてしまい、
上から言われたことを
ぶつくさ思いながらも、
結局それに従って、
不平不満をいいながら、
そこに止まる。
止めればいいのに。

何故止められないのか。
お金、生活、人間関係…
そこを失った際の恐怖、不安。

この社会で生きるには
従順な奴隷であるようにと
目に見えぬ形でしつけられ、
今なおその期待に応えているのだ。

同じように、
従順な奴隷である彼らを
批判することは私にはできない。

でも、
でも、でも、でも、である。

大事にすべきものを
自らの手で失う前に
気付いてほしい。

私も奴隷は止める。
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平和の俳句

14/12/01
水玉文庫
○平和の俳句

中日新聞、東京新聞で「平和の俳句」を募集している。
http://www.tokyo-np.co.jp/heiwanohaiku/

平和が一番、俳句も好き。
だから私も応募しようかなと思うのだけど
なかなか思いうかばないものである。


国家よりワタクシ大事さくらんぼ 攝津幸彦

生きるの大好き冬のはじめが春に似て 池田澄子


平和そのものをうたっているわけではないけど
平和の俳句を思った時に浮かんだ句二つ。

俳句に限らず、ここしばらく詩が気になっている。

詩を読み、感じ、
自分の中の平和を、
広げていくのもいいなと思う。

かにた

MIN
 「山田風太郎明治小説全集7」の中に、「明治かげろう俥」という作品が収録されている。その中に、明治33年に「日本娼妓解放」ののろしを救世軍(キリスト教の一派)があげたという読売新聞の記事が紹介されている。小説では、吉原に救世軍がデモ行進している場面があった。同時に、主人公の1人が売春婦を「ブラックマー・ホーム」という女性保護施設に預ける話がある。「ブラックマー・ホーム」というのは、アメリカの婦人が売春婦3人を救って収容したのがはじまりで、アメリカ本国の有志の募金で賄われている施設のことである。
 この本を読んでいる最中に、館山市にある「かにた婦人の村」(設置経営者・社会福祉法人ベテスダ奉仕女母の家)への取材要請があった。この村の敷地内には、元日本人従軍慰安婦の願いによって建てられた「従軍慰安婦の碑」があるというのだ。ここで、「かにた婦人の村」の前身が売春禁止法(1956年公布)が施行された際に、売春婦たちを収容する東京の施設(厚生省の認可で)の1つだったことを知った。日本でのキリスト教の婦人保護事業というのが、明治に入った直後から始められていたこと。日本という国が、まれにみる買春容認国家だったという土壌の深さを知った出来事でもあった。

朝鮮漬(水玉文庫)

14/02/06
水玉文庫

○朝鮮漬
戦時中、私の父とその家族は、朝鮮半島に住んでいた。
昭和6年生まれの父の姉は、冬になると「朝鮮漬」といって、キムチを漬けていた。
私はトウガラシの赤い色と黄色みがかった白菜の色の組み合わせが、なんだか気味が悪く、食べたことがなかった。
高校時代、同級生が「○○さんのとこの朝鮮漬食べたよ、おいしかったよ」といわれたときはびっくりした。
伯母が自分の友達に配っており、その友達の従弟の子が私の同級生だったのだ。
田舎の世間は狭い。

大学に入ると、朝鮮漬はキムチとして世間に出まわるようになった。
市販され、みんなが食べてるので、私も食べるようになった。
伯母は私が大学4年の春に亡くなっている。
私は伯母の朝鮮漬を食べたのかどうか、記憶にない。

伯母が亡くなった後は、作業を手伝っていた私の母が漬けている。
味は伯母も母も、私の父に味見させ、決めていた。
が、母は父の高血圧を気にして、塩分を少なくしている。
伯母の味と母の味はきっと違うだろう。
でも私にはわからない。

例年暮れに漬け、1月中旬には配っていたような気がするが、
今年は年が明けてから作り始めたということで、
先月末ごろ、そろそろできあがってるんじゃないか?と思い、電話し、送ってもらった。

電話でいつも頼んでいた魚屋さんがやめてしまい、
なじみの八百屋さんに牡蠣とエビの塩辛を頼んだけど、
エビの塩辛がわかんなかったみたいで、
干しエビ買ってきちゃったからいつもと違う、
とか、
リンゴを入れ忘れたのに気付いて、御父さんにいったら、
いまからいれろといわれて、10個だけすっていれた、
とか、
いわれたが、いつもと同じようにおいしくいただき、結局違いはわからなかった。

今日電話したら、漬かってきたからか、お父さんがいつまでも食べてて止めさせた、
塩分少なめにしてるけど、あんなに食べたら意味がないよね、と言っていた。
父が祖父の亡くなった年齢に近づいている。
そのことが気になりつつも、好きなものを食べれれてよかったんじゃないと思った。

あたふたキューバ訪問記3

MIN
あたふたキューバ訪問記3
(1月9日午後、革命博物館の広場)
 昼食を摂って一休みし、今度は地図を頼りに旧市街地を歩いてみることにした。目標は、「革命博物館」である。馬車で外周を廻った時、ガラスケースに囲まれた「グランマ号(おばぁちゃん号)」の姿が垣間見られたから、それを間近に見ようというのである。
 旧市街のメインストリート(オピスポ通り)を歩くと、ヨーロッパからの観光客で溢れていた。それも、腹の出たメタボな老人がやたらと目に付いた。もっとも、私たちもその老人の一部なのであるが。キューバは、今が一番の観光シーズンである。寒いヨーロッパからの観光客が一番多いのだ。
 その観光客のチップを目当てに、派手な衣装と花飾りを頭に付けた老女たちが街角に座っている。写真を撮らせてチップを貰うのだ。チップを貰うと、頬にキスをするらしい。頬にキスマークをつけた観光客が見受けられたのであった。中には、飼い犬に衣装を着せて自転車の荷台に乗せている人がいる。カメラを向けると、チップを寄こせと追ってくるのだ。これも、チップ目当てに考え出された手口である。色々と考えるものである。
 キューバには物乞いもいる。片足のない男が、歩道に寝そべって物乞いをしていた。私の目からみると、日本のホームレスより身綺麗な物乞いにみえた。なにせキューバは、配給制度で最低限の食糧は安く手に入るし、80%の国民は家賃を払わずに住居を得ている国であるからだ。1人、頻繁に観光客に手を差し出す老人がいた。その手を口にもってきて、口を「パクパク」するのだ。つまり、「食べるためにチップをくれ」ということらしい。避けて通ると、しつこく追っかけてくることはない。
U2スパイ偵察機を打ち落としたミサイル
(キューバに侵入したアメリカのスパイ偵察機U2を撃墜したミサイル)

 30分程ブラブラしている内に、革命博物館に着いた。ガイドには、「現在、建物の修復中なので中には入れない」と言われていたので、博物館の裏手の広場にあるグランマ号(1956年12月、モンカダ兵営襲撃事件で逮捕・国外追放されたカストロら82名が、本格的な反乱・ゲリラ戦のために、亡命先のメキシコからキューバにグランマ号で上陸)に近づいた。周りを重々しく兵士が護衛している。ところがよく見ると、観光客が広場に入っているではないか。そこで、広場の入口を探した。入口には、入場料を取る受付が備え作られていた。入場料を払えば中に入れるのである。写真もOKであった。ところが、中に入るとすぐに兵士に呼び止められた。何事かと思ったら、「手荷物を預けて入れ」ということであった。
 ということで、とても82名は乗れそうにないグランマ号を撮影したり、広場に飾ってある革命に使われたセツナやジープなどを見て廻ったのであった。
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きょうの目

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