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あたふたキューバ訪問記2

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あたふたキューバ訪問記2
(1月9日・ハバナ旧市街地観光)
 日本の旅行者の旅程表では、本日8:30~15:30を旧市街地観光にあてている。昼食付きである。ガイドがホテルにやってきたのは9時。そこから歩いて旧市街へ観光である。ホテルの周りは、ほとんどが遊歩道になっていて車が入り込めない。道の真ん中に大砲型の杭が埋め込まれていて、通れないようにしているのだ。旧市街はユネスコの文化遺産に登録されていて、19世紀以前の建造物だらけで町中が博物館みたいなものだ。
 ホテルに1番近いアルマス広場に行くと、ちょうど屋台が設置され始めていた。屋台といっても、売るものは古本ばかりであった。近くで見ると、ボロボロな本である。こんな本を買う人がいるのか、と疑ってしまうような代物である。こんな屋台でも、国にお金を払って許可を受けなければ出すことは出来ないのだそうだ。
 ガイドに色々説明を受けたが、ブロック建築だの、イエスズ会が建てた教会だの、19世紀以前の話ばかりでぜんぜん頭に入ってこなかった。ガイドの説明で、「ホセ・マルティ」という言葉がたびたびでてきた。そういえば、空港の名前もホセ・マルティ空港であった。気になって調べてみると、ホセ・マルティ(1853~95)は1868年からの第1次独立戦争(10年戦争)の時に、16歳で反逆罪で投獄されたことのあるキューバの文学者、革命家であった。彼はスペインに送られ、そこで美術、法律、哲学の学士号を授与されている。その後各国を巡り、キューバ独立運動をすすめた。92年に、キューバ独立革命党をアメリカで設立。1895年、第2次キューバ独立戦争が再発すると、同志とともにキューバに上陸し、戦闘中に被弾しその生涯を閉じた。マルティは後世の思想家、革命家、文学者に多大な影響を与えた。思想の後継者としては、カストロがあげられている。カストロは、マルティの生誕100周年の1953年に、蜂起(モンカダ兵営襲撃事件)し、ここにキューバ革命が勃発することとなるのだ。
 一通り町中を巡ると、今度は馬車に乗って市街地の外周を巡った。そこにはハバナ中央駅やら、国営の土産物市場やら、ホセ・マルティの住んでいた家やら、革命博物館やら、はては伊達藩の支倉常長の銅像などもあったのである。銅像といえば、ホセ・マルティとゲバラの像や絵がやたらと飾られていた。とくにゲバラは、キューバ観光の目玉かと思われるほどたくさんあった。

サンフランシスコ僧院で

「サンフランシスコ僧院、カバレロ・デ・パリの彫像」
 ゲバラで思い出したのが「土産物」のことである。ゲバラのTシャツを頼まれていたのである。そこで、最初に目に付いたTシャツを買うことにした。道端の小さな店で、なんだか埃にまみれて見えたTシャツであったが、買うことにした。言われるままに兌換ペソを払ったが、時差ボケでぼんやりしていたせいか、兌換ペソの貨幣価値が分からなかったせいか、それが高かったのか安かった見当もつかない(値段も忘れた)。
 そうこうしている間に昼になった。するとガイドは、「これで旧市街地観光は終わりです」とサッサと帰ってしまったのである。「あれ、昼飯は」と思ったが後の祭りである。しかたなく、ホテルに戻って昼食を摂ることにしたのだ。もちろん、有料である。
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あたふたキューバ訪問記1

あたふたキューバ訪問記1 
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(1月8日・「ホセ・マルテイ空港」に到着)
 今年の海外旅行はキューバである。キューバで思い起こす事は、62年の「キューバ危機」と2000年の「ブェナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という映画の評判くらいであった。正直、自分のリアルタイムの中でキューバの事が頭を占めたことは一度もなかったのだ。ところが、家族にキューバ行きを知らせると「ゲバラが好きだ」「ゲバラのTシャツを買ってきて」と、これまでにない反応が返ってきたではないか。オヤオヤと思ってしまった。
トロント空港を発つ
(トロント空港を発つ)
 キューバの面積は日本の本州の半分、人口は1100万人程である。時差はマイナス14時間。北半球にあるというのに、1月の温度がハバナで30度あるというのだ。キューバに行くには、アメリカを経由することができない。アメリカは、世界中の批判を浴びてもキューバの経済封鎖を解こうとはしないからだ。そこで、カナダのトロント経由でキューバに降り立つこととなった。同伴者は、頼りになるKさんである。
 キューバでは、USドルが使えない。ソ連崩壊後、一部「市場開放」されて市場経済が導入されたキューバは、そのためにUSドルと人民ペソの二重貨幣制度状態になってしまった。そこに、今までにない各種の弊害が生まれたのだ。貧富の格差が現れた。もちろん、USドルを持つ者が冨者となった。2004年キューバは、とうとうUSドルを流通禁止にしてしまった。

 外国人は、カナダドルかユーロを持って、キューバの兌換ペソ(外国人が使う貨幣)と両替する。したがって、キューバ国内では人民ペソと兌換ペソの二重貨幣が流通している。キューバ国民用の安い物は人民ペソでしか買うことができないところをみると、どうやら「二重価格制」(つまり、外国人には高く)がとられているようであった。とは云っても、キューバの普通の物品は安く、私たちにはこの「二重価格制」があまり気になることはない。アメリカによる経済封鎖を受けているキューバは、そんな手を使ってでも外貨を稼ぐ必要性に迫られているのだ。
 首都ハバナの「ホセ・マルテイ国際空港」に到着すると、日本語ガイドが出迎えてくれた。1.8m程の長身の黒人(混血かも)で、29歳の若者であった。自己紹介で「リー#$!@£¢」と名乗ったが、最初の「リー」しか聞き取ることができなかった。すると、「僕の日本名は黒崎敏郎です」と言うではないか。日本人に自分の名前が理解されないので、かってに付けた名前である。それも三船敏郎から「敏郎」と付けたというから、かなりの日本映画ファンかと思われた。
 そんなガイドに案内されたホテルは、ハバナの旧市街にある「アンボス ムンドス ホテル」で、ヘミングウェイが常宿にしていた部屋があるのが売りであった。ホテルに寛いで、いよいよ明日からのキューバ観光の支度をすることとなった。「まずは風呂」と思ったが、シャワーからは水しか出ず、風呂桶の栓も取り付けられてはいない。しかたなく、キューバの水シャワーの洗礼を受けたのである。
(写真:duke)

スマホは使いやすいか?

1月3日『鍵盤乱麻』恒例の七福神めぐりと、新年会を開いた。ことしは振り出しに戻って「向島七福神めぐり」だった。そのおりお二人が1年余スマホとiPhoneを使っていらっしゃる。前者の持ち主は昔の携帯に戻したいとおっしゃっていた。後者の方は1年前はAUのスマホを使っていらした。その後iPhoneに代えたが使いにくいということで、昔の携帯で箱根駅伝をご覧になっていた。iPhoneはお財布携帯ないし、テレビも見られない。それに使いこなすにはかなり慣れが必要のようだ。やっぱり代えなくて正解だった。わたしの携帯使用料金は12月は3500円だった。パソコンを使う環境があればスマホはやはり不必要だと思った。(中佐)
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