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空海に会いたい(水玉文庫)

14/08/24
水玉文庫

○空海に会いたい

若松英輔さんの連続講義「叡智の台座 井筒俊彦と近代日本」
第2回「空海の遺産 司馬遼太郎と井筒俊彦」を
若松さんも、井筒俊彦も、司馬遼太郎も全く知らずに、
空海の講座、というだけで参加した。

空海、といえば高野山。
今年の春、高野山にどうしても行きたくなり、衝動的に行ってきた。
ハイキングコースがあるということを知り、
九度山(真田昌幸・幸村配流の地)から20km、
ひたすら歩いて、高野山山頂へ。
歩いて思ったのは、人里が近いところ(ゴルフ場もあった)に、
聖地を開いたのだなぁということ。
むろん、もともと「パワースポット」的な要素が強い土地だったとは思うけど、
里が近いというのが、とても印象深かったのである。
袈裟掛石という地点から清浄結界がはられているそうで、
なるほど、凛とした空気に変わった。
しかし、全体としては、とても人に優しい、包容力のある山であり、
それは空海そのものではないかと思った。
(そして空海好きに…)

さて、講座である。
司馬遼太郎は、日本の成り立ちを探し求め、明治にその光を見いだしている。
しかし、司馬遼太郎が一番興味がある人物は空海であり、
また一番よくかけたと思っている作品が『空海の風景』だという。
司馬にとっての空海とは、という問いが当然出てくる。
批評家である若松さんは、読むという行為、あるいはわかるということについて、
他人に誇れるわけではない、私の読み方で、自分なりに空海と出会うことが大事ではないか、
正しい読み方、学ぶことで不自由になるのは、何か間違っているのではないか、
○○についてわかるということと、○○をわかるということは違う、
というメッセージを繰り返す。
そして、司馬は、空海を天才としてではなく、シャーマン、
つまり大いなる世界=存在と私たち人間の世界を結ぶ扉のドアマンであったと直観し、
密教を体系化するにあたってはギリシャ哲学を学んだに違いないとした。
井筒もまた、歴史的文献的には証明できないけど、ギリシャ抜きでは考えられないと同意したという。

では大いなる世界=存在を、空海は、何だと理解したか。
井筒がいうには、真言=真実のコトバだという。
ただ、そのコトバは、私たちが普段使っているコトバではなく、一段高い次元のコトバである。
大いなる世界はコトバを超えた世界であるけれども、
沈黙の世界ではなく、異次元のコトバが働いているという。
それは、ギリシャ哲学でも、キリスト教でも、同じである。

一つでもいい、空海のコトバを読んでみよう。
空海のコトバをわかるまで、読む。
昔の人々は、曼荼羅をみて、仏教が何であるかを、深く理解していた。
今の人は、わかるまで読むということが難しいかもしれない。
けれども、わかると変わる。変わることが大事。

今日のタイトルを「空海に会いたい」としたけれども、
空海を通じて、真言の世界に繋がりたいというのが正確である。
プラントンを通じて、イディアの世界に繋がりたいとも思う。
本であれ、音楽であれ、絵画であれ、何であれ、
わかるということを体感したい、それだけである。

大いなる世界は偉大であり、人間は小さい存在である。
大いなる世界をつなげてくれたからこそ、その人物たちは尊いのだと、
と若松さんはおっしゃった。
なるほど、たしかにそうである。
ただ、誰しもが大いなる世界につながっていると思う。
大いなる世界は、いつも、みな平等に、側にあるのだと思う。
 
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