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あたふたキューバ訪問記7

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あたふたキューバ訪問記7
(1月11日、ヘミングウェイ詣で)
 今日は、ヘミングウェイゆかりの地巡りである。最初に出向いたのは、旧市街から車で20分程の小高い丘の上。ヘミングウェイが暮らしていた家がある。ここは、今ではヘミングウェイ博物館となっている。鬱蒼と茂った南国の樹木に囲まれている。これらの木は、ヘミングウェイが自分で集めてきたのだそうだ。
 もともとこの家は「誰がために鐘が鳴る」の印税で購入したもので、ここで20年間、海と釣りをテーマにした小説を書きあげてきたのだ。もっとも欝病に罹っていたらしく、晩年には作品を書けなくて苦しんでいたらしい。そのせいかどうか、毎晩のように旧市街に車で出かけ、酒を飲んで入り浸っていたようである。1960年にアメリカに帰国したヘミングウェイだったが、翌年に急死している。2度とこの家に戻ることはなかった。遺言でこの家はキューバ政府のものとなり、博物館となったのだ。
ヘミングウェイの書斎の一つ
(ヘミングウェイの書斎の一つ
 ここにも、ヨーロッパ人の観光客が集まっていた。順番に部屋の中を覗くと、確かにヘミングウェイが暮らしていたことを感じさせる様々なものが、当時のままに残されていた。立ったまま打った(腰が悪かった)というタイプライターや、800冊の蔵書・飲み終わった酒瓶もそのままであった。異様だったのは、アフリカに狩りに行って仕留めた様々な草食獣の、首から上の剥製が各室に所狭しと飾られていたことであった。一方で、猫50匹を飼い愛犬のブラッキー(墓が庭にあった)もいて、動物好きを思わせるヘミングウェイだったが、日本人の感覚からは剥製の多さには辟易させられた。
 この博物館の広大な敷地の中には、1933年にニューヨークで建造された「ピラール号」が引き上げられ、保管されていた。この船は30年近く、ヘミングウェイとともに近くの海に出ていたのだ。
 次に出かけたのは、この「ピラール号」が繋がれていた桟橋があるコヒマルという漁村である。そこには、漁師たちがお金を出し合って建てたというヘミングウェイの胸像があった。漁師たちは、ヘミングウェイに相応の報酬をもらって彼の釣りの手伝いをしていたのだ。私たちが胸像に近づくと、付近の老人が「ジャポネか」と声をかけ、ギターを爪弾きはじめた。懐かしい60年代(日本での)の曲が流れ出し、チップを渡すことに。彼らは、観光客が来るたびに、こうして演奏をしてチップをもらっているのだそうだ。
 コヒマルは、「老人と海」の舞台ともなった場所である。港に面して小さな要塞があり、その向こうには大西洋というかカリブ海というかが広がっていて、何とも気持のいい眺めであった。
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